【インタビュー】1日18時間以上の努力なんて当たり前。

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今回インタビューにお招きしたのは、株式会社RESEED(レシード)の代表取締役:大江様です!
なんと、「Harvard Business Review」の2016年11月号で「これからの世界を変えていくであろう、40歳未満の経営者20人」として選ばれた方です!

それでは、インタビューをしてまいりましょう!!
(大:大江社長、筆:筆者)

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「それでは早速、大江さんの大学卒業後などのこれまでのご経歴のご紹介をお願いします。」

 
「はい、大学卒業後の経歴とのご質問ですが実は僕大学は卒業していないんです。」

 
「え!?(いきなり衝撃でした。)」

 
「一応19歳の頃に、ミュージシャンとしてプロデビューしてるのです。」

 
「ええ!?(もう電撃が走りました。)」

 
「とにかく中学生の頃から自立したくてしょうがなかったんです。1人で稼いでいく力を身につけたかったんですね。
14歳にもなって自分の人生を決めれないのは情けないと思い、
そろそろ人生をかけて勝負できることを見つけないといけないと
ずっと小学生くらいのときから考えていました。

当時14歳くらいの1996年~1997年の時ですかね、宇多田ヒカルやGLAYがめちゃくちゃヒットしていた。当時は今みたいな音楽配信システムはなくて、CDでミリオンセラーを出せばめちゃくちゃ儲かったりしていたんですね。
で、『音楽業界は儲かるぞ』と。それで音楽業界のプロデューサになって印税収入を稼ごうとプロを目指すようになったのです。

といっても、もっと小さい頃から自立しようという気持ちはあって、最初は漫画家とかにもなろうとしていたのです。
でも、漫画家は儲からないかもしれないと、漫画描きながら思ったりしたので(笑)」

 
「ものすごい自立心旺盛だったんですね(笑)」

 
「で、音楽業界でプロを目指すと決めたら、『計画的にやっていかないと』と考えたんです。それで、どの楽器が一番効率的にプロになる近道なのかを考え、決めたのがギターでした。

理由は、作曲も演奏も歌も歌えるし、楽器の中でもメインとして出ることが多いと感じたので。
14歳の9月1日の9時にギターを始めました。
このときの決意した瞬間は今でも忘れないですね。

最近人気漫画のブルージャイアントを見たときとそのときの自分が重なりました。
そこからは土日もほぼ遊ばずに、毎日毎日練習です。だから、高校にいく予定もなかったんです。(笑)」

 
「すごい。。。」

 
「高校に行く予定がなかったといっても、実は夏休みまでには受験勉強などはすでに終了していたり、勉強には比較的困ったことがありませんでした。絶対宿題と予習はかかさず、授業中は真剣に聞いてましたので。国語のや歴史に乗ってる人物画像に落書きばっかりしてましたが。」

でも親からは、『せっかく勉強できるのだから、頼むから高校だけは出てくれ。そのあとは何をしてもいいから』と言われました。
ただ、実家は和歌山の田舎で自営業をやっていましたが、そんなに裕福な家庭でもありませんでした。なので『そもそも大学にいく選択肢がなかった』という方が正しいかもしれません。
そういう状況を子供の頃から体感していたので、とにかく自立したいと思う人間になったのかもしれません。

で、音楽業界は儲かる業界だと自分の中で思っていて、世界で1番努力すれば間違いなく成功するだろうという思いもあった。
だから、1日18時間ギターと音楽の訓練と練習をしてました。
授業時間では、黒板の板書をさっと写した後は、とにかく譜面を書いてました。歩いているときはカセットテープやMDを常に流して、リズムの練習をして帰ったらすぐ練習に入って、寝ているときお風呂に入っているときも、テレビを見ているときも音楽を流しっぱなしなどをして、
寝るのは大体朝の4時とかでした。で、次の日7時半くらいに起きて電車で譜面を見ながらまた学校に行くと。逆算すると14歳から19歳までで2万時間は練習してました。唯一練習しなかった日は高校生の修学旅行のときくらいです」

 
「・・・・・・・(自戒の念が収まらない)」

 
「そんな生活リズムで高校まで卒業して、18歳の頃にやっと大阪に出てくることができました。もちろん東京に行きたかったんですけど、東京にいくお金がなかったんです。そこで、まずは実家の和歌山から大阪に行って土台を作ってから、一旗あげた後東京に行ってやろうと。
そういうことを考えて、大阪の音楽専門学校に行ったんです。
ただその目的は、勉強じゃなくて『人脈作り』でした。
2001年くらいのときだったので、ネットを使うこともできなかったのです。なので、人脈つくるために先生に猛アタックしていきました。
そこで先生に色々聞いているうちに、ジャズをやれと言われました。ジャズは音楽の中で1番難しく、どのジャンルにも応用が利き、アドリブにも強くなる音楽だと知ったんです。」

 
「へえ〜」

 
「そこからまた猛練習です。先生から『冬休み中の3週間でjazzスタンダードを200曲覚えてこい』というような課題も与えられたりして。」

 
「え!?」

 
「冬休み中は、チキンラーメンと牛乳だけをスーパーで大量に買って、家にこもり、いつが朝だか昼だかわかんない精神状態で課題を仕上げ先生に伝えたら、後々『お前ほんまにやったんか!?』と。ジョークだったみたいです。
過去の生徒の中でやってきたことがある人がいなかったのでびっくりされました。(笑)
というようなことをどんどんやっていくと、ある日その先生から
『もうお前は1人立ちしても飯は食っていける』と言ってもらったのです。
そこから音楽でのご飯の食べ方をレクチャーいただき、自分で夕方と土日に音楽教室を開いたり、北新地(大阪にあるビジネス街)で演奏させてもらったり、結婚式で演奏させてもらったり、某飲料メーカーの社員総会の演奏などをやったりしていました。そういったことをやっていたので、20歳~21歳の頃には20万〜25万円くらい稼いでいました。学校を卒業した後もそういった生活を続けて、東京にいくためのお金を貯めていました。

でも、21歳の時に実家が自己破産してしまったんです。ここは大きな転機だったかもしれません。計画がすべて狂ってしまったので。それまでは大阪から東京、そしてロス(アメリカ)に行って一流アーティストになろうとしていましたし。

そこで、親も救ってあげれない自分はなんて情けないんだと思い、一旦音楽をやめて、お金を稼げる社会的に価値がある人間になろうと決意しました。
そんな時、営業が儲かるらしいと。そういう理由で営業を始めました。最初は営業=物を売る、それだけしか知りませんでした。
ただ、そこでも睡眠時間2時間半だったり、トップセールスマンのセールストークを録音して移動時間でも聴き続けたりしていたり、先輩の録音をすべて文字おこししたりして毎日研究しつづけ、2ヶ月後には入った会社でトップセールスになったんです。その後は部下を20人近くつけられてマネージメント系の本を読み漁ったりしてましたが、睡眠不足すぎて車で事故を起こしたり、色んなことを経験しました。

そのときにいろいろな経営者の方に会う機会があり、
『あ、経営という世界があるんだな』と気づき、『自分で経営しよう』と決めました。

それから2006年頃に、ある会社の事業部をいただき通信会社を作ったんですが、はじめの契約条件と異なり、某大手通信会社さんからなどの契約後の入金などが数か月後先と非常に遅く、いくら受注してもお金に転換されないし、通信インフラブームも終わりに迎えていたのもあり、『他人のふんどしで商売をしても指先ひとつでつぶされてしまう』、また『ブームの末期で勝負をしてはだめだ』と学び、時代の流れを読み解く力は非常に重要なのだと痛感しました。
一般サラリーマンだとドン引きするくらいの借金もできたので、昼は営業して夜はキャバクラの仕事などで1年半働いて、睡眠時間2時間半。という生活をつづけ、借金を返済しました。

で、24,5歳のとき、『これからはWebだな』ということを感じたので、IT企業に入ろうと思ったんです。でも、パソコンも触ったことがないし、なんの経験もないので就職は無理だろうと思っていました。そんな時、ちょうど立ち上げ中の根性でなんとかなるベンチャーに誘われ、4人でITベンチャーを設立しました。
そこは自社媒体を作り社内全体で当時毎月400万円くらいの売上も上げることができたのですが、その途中でリーマンショックがきます。
一気に売上が0になってしまったりを経験し、不況のトレンドを予測しないと怖いなと痛感しました。そこで『次のトレンドで勝負したい!』と強く思い、その会社を退職しました。

そこからはweb周りの力もあったので、コンサルティング会社に就職することにしました。勉強期間だと捉えて、色んな業界を見てチャンスを探ろうと思ったんですね。
そこではちょうど3年働きました。すると、どのビジネスモデルが儲かるか、どのビジネスが不況に強いかがわかってきた。これはのちの起業でめちゃくちゃ役に立ちました。

その後自身の会社、今のRESEEDを立ち上げることになりました。最初2012年の4月の半年は、70万で立ち上げた後1人だけでやっていました。
自社専門のプラットフォーム事業を立ち上げ、2017年現在では月商約6000万、社員30ほどの会社になっています。

とまあ、経歴としてはそんな感じです」
「あ、ありがとうございます。なんというか、圧倒されっぱなしでした。。(笑)
では、次の質問なのですが、大江さんに夢ってありますか?」
「ああ、僕夢ないんですよ、もともと。」
「!?!?!?!?」
「よく夢はなんですかって聞かれるんですけど、『夢ってなんだろう』っていう感じになっちゃう。

ただ、常に意識していることはあります。
むちゃくちゃシンプルなフレーズなんですけど、「明日死んでも良い生き方をしよう」ってこと。

今日後悔しなかったらいいじゃないですか。そのためにいろんなことを決断して全力で生きれば、必然的に楽しい人生になるのではないでしょうか。

昔から好奇心が旺盛であったことも、こう思うようになった理由かもしれません。とにかくその知的好奇心を満たしていきたいんですね。
だから僕、今でも物欲とかは人とくらべて異常に無いんですよ。
本を買ったり、やったことがないことをするために使ってます。体験や経験にお金を使っているのです。

ただ、もう1つ理由はあって、24歳くらいの時に会社つぶしたときに1度だけめちゃくちゃ凹んだ時があったんですね。そのとき家の荷物が全部なくなってしまって、唯一あったのがギター一本とデール・カーネギーの「道は開ける」でした。

悩んでいる時間がもったいないと思い、何かを答えはないかと思い、デール・カーネギーの「道は開ける」を手に取ると、そこに

『1日1日の区切りで生きろ』

というようなフレーズがあったんです。

悩む暇がないくらい働け、毎日をとにかく必死に生きろと。

それをやってれば人生は豊かになると。
それを知って、『明日死んでも良い生き方をしよう』というフレーズを座右の銘に据えていますかね。

で、それを意識して、運良く長生きできれば、いろんな点が繋がっていくんです。
僕が一度は横に置いた音楽も、今では僕の人生に繋がっていますし。
だから、何事も決断した一事は全力でやることが大切だと思います。それが何年かかるかはわからないです。僕の場合は点と点がつながるには少なくとも15年はかかってますから。
とにかく忍耐が大事。コツコツと毎日を全力で、頭がちぎれるくらい考えて生きる。それに尽きると思います。」
「もう、パワーが。言葉の重みが違います。。。
そういった生き方をしてこられた大江さんですが、意思決定をする際に『信念』や『軸』というものはあったりするんですか?」
「んー、信念というものでもないんですけど、2つあると思います。
1つは何かをする時に『伸びる産業に手を出すこと』。これは見つけるのが難しいです。周りが盛り上がってるときはもう遅い。もうすぐピークだということなので。そうではなくて、フツフツと湧き上がってきている、ネットでも出てきていないような分野を探すこと。
それを見つけるためには、本を読んだり、人に会ったりして、その後自分の頭で考えること。この考える作業が1番重要です。これを常にやっていないと『伸びる産業』というものは見つけられないと思います。頭がちぎれるくらい考えないと。

もう1つは『モチベーションで仕事をするな』ということ。
『モチベーションがないと』『目標がないと』なんてのは全部、仕事ができない言い訳です。上司への不平不満も一緒。

自立者また経営者は、そんな言い訳一切できないんです。その意識を持って働かなければいけない。
どんな仕事が与えられても何か他のもの、他の人、景気、環境のせいにせず、失敗しようがやりきること。

よい言葉があります、世界の鉄骨王アンドリューカーネギーのセリフですが、
「あなたが清掃員であり、世界一の清掃員を目指して行動すれば、誰もがあなたをだたの清掃員にしたりはしない。」

その意識を持って取り組むだけで、必ず芽は出ます。それができている人はとても少ないと僕は思っています。」

 
「パワフルです、大江さん!!それでは、最後に若者・ビジネスマンの方にメッセージをお願いします!」

 
「隣の芝生は青くない!!常に一事に集中してコツコツ努力しましょう。できれば背水の陣で取り組むことをおすすめします。」

 
「ありがとうございます!大江さんのような方が増えれば、日本はもっともっと面白くなるのだと思いました!!
インタビューは以上となります!本日はありがとうございました。」

 
「ずるずるずる」 (インタビュー最後にお茶をすする 大江氏)

 

 

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