【インタビュー】若いうちに海外に行け!

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今回インタビューさせていただいたのは、大阪市経済戦略局理事でOIH(Osaka Innovation Hub)をされておられる吉川 様です!

 

 

大阪梅田(大阪駅周辺)には「グランフロント」と呼ばれる建物があり、その中にOIHがあります。

「起業」「イノベーション」「ベンチャー」などをキーワードとした様々な取り組みをされている施設になります。お近くに立ち寄った際には、ぜひ行ってみてください!

それでは、インタビュー開始です!!

(吉:吉川様、筆:筆者)

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「では早速、吉川様のご経歴のご紹介をお願いします!」

 

「私は神戸市外国語大学を卒業した後、当時トラクターなどを製造している大阪の会社に入社しました。

最初、その会社の海外事業部で7,8年務めて、そのうち4年くらいはロサンゼルスで駐在してました。」

 

「うらやましいですっっ!!」

 

「そこで何をしていたかっていうと、主に化学プラント用のパイプを販売してました。エクソンやモービルなど、いわゆるオイルメジャーが主なお客さんでしたね。

やっぱりそういった仕事は、材料を決定する人や設計仕様書を作る人がアメリカの本拠地にいたので、私の会社からも多くの人間がアメリカに行ってましたね。

ちょっと話逸れるとね、僕がアメリカにいた頃っていうのは、1980年代くらいだったわけ。

現地にいけばスリットスカートを履いたセクシーな女性や日本にはまだなかったビデオレンタル屋さんなんかもあって、めちゃくちゃ刺激になったよ。

もっと脱線するとね、私に物心がつき始めた頃は、日本では、テレビをつけるとアメリカのドラマが大量に放映されてたんだけど、そのドラマの中で、主人公が大きな冷蔵庫から牛乳を取り出してがぶ飲みしたり、家ではお父さんがジャケットを着たりしてね。もう本当にかっこいいと思ってね、幼い頃から海外に憧れる気持ちはあったよね。とにかく、外国に行きたかった。それが外国語を勉強する動機になっていることは間違いないですね。」

 

「めちゃくちゃ分かります。今でもそうですよ、少なくとも僕は!!(笑)」

 

「でね、当時はやっぱりアメリカがめちゃくちゃ進んでいた。レンタルビデオ屋さんとかもだけど、アメリカで生まれたものが何年かしてからタイムマシン方式的に日本に導入されていた。今はインターネットも発達して、そのタイムラグがほとんどなくなってきているけどね。

で、話は戻って、私が海外事業部に配属になったのは、当時の日本の製造業が本格的に独自に輸出を行いはじめた時期なんです。ただね、『輸出実績がないものが海外で売れるわけがない』というような認識があったのも事実ですね。

 

当時、輸出実績のある花形商品がA商品で、私の担当した製品は「輸出実績がない」B商品だったわけですよ。もし、私がA商品の担当になればすぐにでもシンガポールや欧州へ出張させてもらえる機会があるのではないかと羨ましく思っていました。

そうこうしている内に、A商品の先輩担当者が、『B商品をやっていても売れないのでは』と言い始め、A商品の販売強化の意味もあって私をA商品に配置換えするよう課長に提案してくれたんです。私個人としては、正直、海外に行ける『チャンスだ』と思ったわけですよ。

でもね、私が抜けるとB商品の担当がいなくなるわけですね。

「ここは、自分の欲を抑え、全体の利益を考えるべき」と思って、B商品の担当を続けることにしたのです。自分としては、すこし大げさに聞こえるかもしれませんが、「これで海外での仕事の機会はなくなった」くらいの気持ちだったんですよね。ホント。

するとね、人生って面白いんです。その決断をした2ヶ月後くらいにアメリカ行きの話が僕に急に降ってきたんですよ。『捨てる神ありゃ拾う神あり』という人生訓をこの時に大いに学んだね。

その時、アメリカの事務所で補助員が急に必要になったんです。そこで『お前インターンとして行ってこい』と。

やっぱりBの担当をし続けるという決断をしてたのが見られていたのだと思います。これを私は「無私の心」と呼んでいます。私利私欲を捨てて、全体の利益を考慮した決断をしていくことの重要性ですね。

そういった私利私欲をポーンと捨てると、いろんなことが自分の手元に回ってくるんです。」

 

「めちゃくちゃ分かります。。。(筆者も体感したことがあります。)」

 

「でね、出世する人ってどういう人だと思う?

出世するには、押しと引きの両方の力が必要なんです。どういうことかというと、仕事でがんばって成果を出して同期や部下から応援してもらう力が1つ。もう1つは、上司など上の役職の人からかわいがってもらう力です。

後者に関しては、最低限礼儀が守れていたり、さっきの無私の心を意識できていれば大丈夫。やっぱりそういう人間ってかわいく見えるし、引っ張りあげてやりたいと思うもんなんですね。

 

で、出世に関しては『運』というものも関係してきます。

ただ、運は自分の行動によって上げることができます。

私は『運 = 気づき + 出逢い』だと考えています。じゃあ運を上げる=良い気づきと出逢いを増やすにはどうすればよいか、それは自分が良い人間になるしかありません。

良い人とは『ギバー』つまり与えられる人のこと。ギブアンドテイクという言葉があるけど、そうじゃない。ギブアンドギブ。与えれば与えるほど、それが回り回って自分のところに来てくれるものなんです。

もちろんそれを餌食にしようとするテイカーもいるので、その対処に関しては知恵を持っておくことが必要。ただ、良い人になればなるほど良い人が集まってきます。類は友を呼ぶというやつですね。

 

で、運と宿命は違うんです。宿命は生まれ持ってのもの、変えられないもののことです。でも運は違う。変えられるものなんです。

じゃあどうやって変えていくかというと、それは『習慣』です。『習慣は第2の天性』と呼ばれるほど重要なものです。

これは『人と会った時は必ず自分からあいさつをする』これだけでも十分効果があります。挨拶されて嫌がる人なんていないし、それができている人もまた少ないから。

そして、どんなことが起こっても、『転んでもただじゃおかへんぞ!何か学び取ってやろう』と思うポジティヴな思考をすることが重要です。どんな不運なことが起こっても、そこから逃げずにポジティヴ思考でやり抜く。

また、『誰のせいにもしない』ということも非常に重要です。失敗してしまった時などに、他人のせいにしてしまうと、それはもう自分の学びにはならないからね。

失敗して答えのわからないときには、『なぜ?』という問いかけをしてみましょう。トヨタでも『トヨタのなぜなぜ5回』なるものがあります。問題に対して『なぜ』という疑問を5回ぶつけていけば、本質的な答えにたどり着くというものです。」

 

「すごい、目からウロコな情報ばかりです。。。

やっぱり吉川さんもたくさん失敗してきたんですか?」

 

「もちろん!私も本当にたくさんの失敗をしてきました。そういった失敗をするとき、私の場合多くの原因は『思い込みが激しいこと』でした。他人に意見を求めず、独りよがりになっていたような状態です。

そういえば、失敗といえば、私は失敗の原因を紙に書き出し、毎朝その失敗原因集を見てから出社するんです。同じミスを2度と繰り返さないように確認をすることを30年近く続けています。工場でやる「指差し確認」やね。

 

「ええっっ!?」

 

「それも1つの習慣ですよね。」

 

「早速今日から実践してみます!

ところで、アメリカで長い間勤務されて、日本とは違うなと感じた事ってありましたか?」

 

「1つあげるとしたら、僕がロスに駐在していた頃『アメリカ人は嘘をつかない』ということを強く印象付けられました。

アメリカでは会社が個人を守ってくれない。その認識が当たり前なんです。だからみんな、個人の社会で生きていかないといけない。そういった社会でもしも信用や信頼をなくしてしまったらどうなると思いますか?

仕事だけではなく、あらゆる面で生活しづらくなる、もしくは生きていけなくなってしまうんです。

だから、アメリカ人はわからないことはわからないとハッキリ言える。日本人の場合、特に若くてプライドのある時期だと、わからない質問をされてもなんとなく答えちゃったりする時ってあるじゃない?

ああいったことがないんです。それも突き詰めれば嘘なので。

ビジネスにおいても、当時の日本では、顧客(相手)の信頼を得るよりも、社内での信頼を得ることに重きをおくような風潮があったりした。

出世のために、はっきりと責任をとれないことで多くの契約をとることに重きを置いてしまう。こういうことは絶対にしてはいけないんだと、アメリカに行って気づくことができました。

なので、若者のみなさんにはできるだけ海外に出て行ってみてほしい。ネットだけでは得られない情報がたくさんありますから。

アメリカでもいいし、発展途上国で日本とのギャップを目の当たりにするのもいい。

そういった衝撃的な体験というものを、感性の高いうちに経験しておくべきだと強く思います。

 

私の失敗リストの話に戻すと、ベンジャミンフランクリンという人物の自伝に『13徳目』というものがあります。フランクリンも失敗経験をリスト化して、自分自身を律していたんです。

こういった書物を読むことは大変重要です。特に『伝記』を読むことを私はおすすめしています。脚色がついていたりもするんですが、やはり歴史に学ぶということは一番重要です。

例えば、司馬遼太郎が書いた『坂の上の雲』にも、私が先ほど言った、かわいがってもらうことの重要性みたいなことも書かれています。」

 

「歴史に学ぶかあ。。『歴史は繰り返す』とも言いますもんね」

 

「話が逸れちゃったね、ごめんごめん。

で、その会社でそういった仕事をした後、会社が全社をあげてコンピューター事業に進出するということになった。まさにIT革命だというタイミング。

あの頃の産業の成長スピードはすごかった。どれだけすごかったかというと、ベンチャー企業が3年したらまったく形が変わっているみたいな状況。3年で急成長するか、M&Aされるかなので、人材もごろごろ入れ替わったりして。日本的な『すり合わせ』とかができない時代でもあったから、そういったところでは苦労したりもしましたね。

で、コンピューター事業はいまいちうまくいかず、ソフトウェアをやっていくことになりました。

そしてその後、その会社が『IT関連事業から一切足を洗う』という決断をしました。IT関連事業では中心的な役割を私は担ってきたので、その事業をある会社に売却し、社員も「集団就職」させてから、しばらく様子を見て私は退職しました。

その後、現在の大阪市に就職し、大阪市側の責任者としてOIHを経営しています。」

 

「なるほど、そういったご経歴を踏まれてきて、吉川さんが将来成したい夢って何ですか?」

 

「やっぱり私個人の夢は、今やってることの延長線上にあります。

具体的にいえば、アントレプレナーの取引所を作りたい、という夢です。日々、市場や証券取引所は活発に活動しています。しかし、大阪のベンチャー界隈はどうでしょう。まだまだ活発とはいえません。

なので、この大阪という街で、年間200回以上ピッチ(ベンチャー企業などが、自社サービスなどについて3分ほどでプレゼンするイベント)が行われるようにしたいですね。

 

と、そんな感じかな!

ごめん、ちょっと次の仕事が入っているのでこの辺で!」

 

「あ、ありがとうございます!!すみません、お忙しい中ありがとうございました!!」

 

 

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OIH代表:吉川様は、大変エネルギッシュな方でした!吉川様の同年代であれだけエネルギッシュにやっていけている人はなかなかいないと思います。

筆者自身、もっと足と頭を使って行動していかなければと、身の引き締まる思いでした。

 

ぜひ「起業」「ベンチャー」「将来」などについて考えている方は、ふらっとOIHに立ち寄ってみてください!

毎日たくさんの方が来られているようなので、きっと素敵な出逢いが生まれると思いますよ!!

 

 

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