【インタビュー】2度の受験失敗と内定取り消しを経験して辿り着いた場所

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今回インタビューさせていただいたのは、夢見る株式会社代表の重見様です!

 

 

夢見る株式会社では、『教育』分野で革新的なサービスを生み出し続けている企業です。幼少期からロボットに触れながら学習意欲を高めるサービスや、学童保育のあり方をより良いものにするサービスなども運営されておられます!

大阪でも有数のベンチャー企業ですので、大阪にいる学生やビジネスパーソンの方々、ぜひ注目してみてください!!

(重:重見様、筆:筆者)

 

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「まずは、これまでのご経歴の紹介からお願いします。」

 

「小さい頃の記憶はあまり覚えていなくて、かなり断片的にはなりますが、これまでの人生は色んな失敗をしてきたなとつくづく思います。

もちろん結果的には非常に良い経験にはなっているのですが、失敗をしていた頃は『もうダメだ』なんてよく思っていましたね。(笑)

 

もともと勉強が大嫌いで、楽しくないし何のためにやっているのかを見出せなかったんですね。そして、勉強の面白さや何に繋がるかを教えてくれる人も周りにあまりいませんでした。

小学校中学校はまったく勉強しなかったのですが、高校受験の頃には1つだけ入りたい高校があったんです。というのも、それまでずっと水泳をしてきたのですが、その高校に入れば水泳だけやっていればいい、つまり勉強の苦しみから解放されると考えていたわけです。

そこが関大一高というところで、周りの先生からは『いや、お前じゃ絶対無理だ』なんて言われたりもしていたのですが、僕は『願えば叶う』みたいな感じでめちゃくちゃやる気に満ち溢れていました。(笑)

どれだけやる気があったかというと、願書を誰よりも早く取りに行き、受験番号が1番だったんです。(笑)」

 

「すごい!!(笑)受験番号1番を取った人はこれまで出会ったことがなかったです!(笑)」

 

「勉強も一応やってはいたのですが、なかなか怪しい感じでした。

そして、実際に受けてみると、結果不合格でした。何より残酷だったのは、受験番号1番って、受験結果が貼り出された後、左上を見ればすぐわかるわけです。

つまり、僕は受験結果が貼り出された瞬間落胆ですよ。(笑)よくテレビドラマとかである『私の受験番号どこだろう、どこだろう』なんて探す時間なんて一切なかったんです。(笑)」

 

「ドラマと現実のギャップが。。。(笑)」

 

「それに、関大一高は私立なので、周りの友達は併願で受けていて、みんな受かっていたんです。クラスで僕だけ落ちていたわけです。そこはすごく挫折感を味わいましたね。

とは言いつつも、父親の最終学歴が関西学院大学卒業ということで、父親には負けたくないという気持ちから、『絶対大学は関関同立以上じゃないとだめだ』という考えを持っていました。

 

しかし今の学力ではまともな大学に行けないとわかっていたので、高校で猛勉強するために、履正社という高校に進学することに決めました。

その学校は今年も甲子園で活躍したりするスポーツの名門校でもあるのですが、文武両道の高校なんです。

しかし、これは『1人1人がスポーツも勉強もできる』ということではなく、スポーツが出来る学生と、勉強ができる学生を分け、所属するコースも分かれていたのです。」

 

「なるほど!そうすれば確かに、学校としては文武両道になりますもんね!」

 

「そしてもちろん僕は勉強ばかりするコースに入りました。

毎日9時間10時間は勉強していました。午後5時まで授業を受けたら、その次に100分間の授業が毎日ありました。

また、土曜日も学校に行く日だったので、土曜日も授業が6時間目までみっちり詰まっていました。

土曜日が終わって『やっと週末休める!遊べる!』と思ったら、その翌日の月曜日からまたテストがあるので、日曜日も家で勉強するという生活でしたね。」

 

「ひえ〜、アメリカの大学の生活みたいですね。。。(アメリカの大学生活の様子はこちら。)」

 

「勉強は嫌いだったので、その3年間は地獄のような期間でしたね。

そしていよいよ大学受験だという時期になります。東京の大学に行きたいという気持ちがあったので、東京の国立大学を目指しました。

しかし、結果はまたしも不合格。そのとき滑り止めとして合格していた関西大学という大学に進むことになりました。

 

その時には高校受験も大学受験も失敗していたので、『大学生活の4年間は1秒たりとも無駄にしない』という強い気持ちが湧き上がっていました。

高校時代は男子校だったので、中学の友達が彼女の話をしているときにも僕は男子ばかりの教室で猛勉強していましたしね。(笑)

そして、『自分の好きなことを追求しよう』という気持ちもありました。

 

そういった背景から、大学ではサークルにも入らず、YMCAというところで学生リーダーをしたりしていました。

YMCAは、子供達をスキーに連れて行くなど、子供向けの教育プログラムを提供している組織です。そして、『学生リーダー』は、まさに学生期間にしかできないことだったので、その活動にのめりこみました。そこで『教育』にも出逢いましたね。

プログラムの企画運営はもちろん、リピーターがどれくらいいるかという結果も明確にわかったので、自分がどれくらい貢献できているかも明確になり、大学4年間は本当に充実していましたね。

 

アルバイトも、自分が好きなことしかしたくないと思っていて、もともと映画が大好きだったので、映画関係のアルバイトをしようと思い立ちました。

しかし、ポップコーン売り場やチケットのもぎりのアルバイトは、実質的には映画に関係ないのでだめだと思いました。じゃあ何をやったかというと、映写室でのアルバイトをしていたんです。

映画館の部屋の後ろで、フィルムを編集したり、試写会でも全部映画が観れたりという経験をして、映画業界の裏側を見ることができました。

結果的には、『好きなことを仕事にするのではなく、趣味は趣味として置いておこう』という結論に辿り着きましたが。」

 

「へえ〜、そんなアルバイトあるんですね!他には何かやられていたんですか?」

 

「実は僕の父親は経営者だったので、将来自分で何か事業を興すか、父親の会社を継ぐかという選択肢を考えていました。

そして、受験にことごとく失敗してきたことから、父親から『よくやったな』と褒められたり認められたりする経験があまりなかったんです。

それで、『父親から認められたい』という欲求があって、いつか父親から『おれの会社を手伝ってくれ』みたいに言われたいなという願望がありました。

 

そういった背景から、大学3回生の頃からインターンシップやビジネスプランコンテストなどに挑戦していました。そこで社会とも接点を持つようになりましたね。

当時は動かないと、大学からは全然企業やビジネスに関する情報は提供されなかったので。

就活する時にも、何かこう『みんなと横並びは嫌だな』という気持ちがありました。エントリーシートを出してから内定までのプロセスも非効率ですし、絶対行きたいと思える会社以外を受けるのは嫌でしたし。

結果、エントリーしたのは10社くらいだけでした。いくつか内定をもらい、その中でもあるIT企業さんからアプローチを受けていたので、そこに新卒で入社することを決めました。中の人たちも大変魅力的な方ばかりだったのも大きな要因ですね。

当時は4年生になる手前の3月から就活解禁で、その翌月の4月にはその決定ができている状態だったので、残りの大学生活も充実した状態で送っていました。

しかしここからまたある出来事が起こるんです。」

 

「また、ですね。(笑)」

 

「4年生の10月くらいに内定式が行われていたのですが、9月の中旬くらいから、その内定した企業から内定者全員が呼び出されたんです。

そこに経営者が来て、『実は経営的に、君たちを今回新卒として受け入れられなくなった』と言われたんです。」

 

「ええ!?」

 

「その後、『子会社に出向してほしい。戻れる保証はない』とも言われました。

正直、その申し出自体は『そうかあ』という感じで受け入れることができました。しかし、子会社への出向というところには納得できなかったんです。

出向先としては2つあったんです。メディア系の事業を主にやっている会社と、通信系事業のゴリゴリ営業会社の2つでした。

その2つの選択肢を知った時に、『あれ、ちょっと待てよ』と。自分が目指してきた仕事と全然違うんじゃないかと。もちろん会社のカルチャーも人も、自分が目指していたものとは全く違いますしね。

その時、『このままどちらかに出向するのは違う』と思ったんです。もう周りはみんな就活が終わっていた時期です。大手就職斡旋サイトを見ても、全然求人がない状態。

 

そんな状態では就活もできないので、そこで自分の親に『もう1回就活させてほしい』と頼んだんです。1年就活浪人させてくれという申し出たんです。

すると父親が、『アホか、あかんわ』と。『その会社を選んだのはお前や。会社なんて浮き沈みがあるものだ。』と言われました。

そして最後に『そんなに出向先に行くのが嫌なら、3月までにどこか別の企業に就職しろ。それがダメなら出向先に行って、その子会社を成長させるくらいの働きをしろ』と言われました。」

 

「厳しいお父様ですが、言っていることは、経営者という職業を背景とした素晴らしい内容ですね。」

 

「それを言われて、『どうしよ』と思いましたが、当時青かったこともあり、『子会社に行くくらいなら、別のとこに行く!』と思い、内定先の人事の方に頼んで再度就活することになりました。

その方がとても良い方で、たくさんの企業を当たってくれたんです。すると、1社『新卒ではないが、第二新卒を募集している』という企業があったんです。面白いことに、この企業は僕が最初の就活のときに、1次選考でおとされていた会社でした。

 

その会社に面接を受けに行きましたが、第二新卒の募集なので、周りは社会人ばかりだったわけです。

もちろん社会人の方はすでに社会で働かれていたので、学生の自分が普通に勝負しても勝てるはずがありませんでした。

そこで、その会社の社長が出している本を全て買って、全て読破しました。また、気になるポイントは全て書きだし、面接当日はこちらから質問攻めをしようという戦略に出ました。

『この会社にどれだけ入りたいか』という想いの面でしか勝負できないと思ったんです。

 

すると、面接も順調に進んでいき、最後に社長面接がありました。その時にももちろん質問攻めをしました。社長用に50個くらい考えていきましたかね。

社長からは『マニアだね』と言われました(笑)しかし、それだけ入りたいという気持ちの裏返しだと伝え続け、結果的に内定をいただくことができました。

そして2008年にその会社に入社することになりました。

入ってすぐに『配属先はどうしますか?』という質問を受け、一般的にはそこで東京希望を出すのですが、僕はあえて福岡を希望しました。」

 

「え!?福岡!?当時は特にビジネス関係で行政ががんばっていたわけではないのに、なぜ福岡を希望したんですか?」

 

「当時の福岡の支店長が、最初の就活のときに僕を1次面接で落とした人だったからです。(笑)『この人を見返さないとダメだ!!』という気持ちで、その人を見返したい一心でした。

そして福岡に配属され、毎日営業をしていました。1年目は見込み客リストなども先輩からはもらえず、自分でとにかく動き続けるしかありませんでした。

それでも愚直にテレアポも飛び込みもやって、同期35人中、1年目の成績は2位でした。ある程度先ほど言った目標が達成されたわけです。(笑)

 

しかし、その最中の秋にリーマンショックが起こっていました。当時その会社は採用関係の事業をメインでやっていたので相当苦しみました。

景気が悪くなると、企業はまず変動費を抑えようとし、その中でも採用費を特に削るんです。

僕はその会社に2008年から1年ちょっといたのですが、2011年には民事再生を申請しました。

そこでふと思ったのは、イケイケで人も良い組織でも潰れるときは潰れるのだな、ということでした。僕が勤めていた企業がなぜそうなったかという大きな原因の1つは、攻めだけでなく、守りが足りなかったことだと当時は思いました。

 

つまり、僕は攻めのコンサルを学びましたが、守りのコンサルは身についていなかったんです。そこで、守りのコンサルを学べるであろうコンサルティング会社に転職することになりました。

そこは逆に守りのコンサルティングがほとんどだったので、僕個人としては攻めと守りの両方を学べたわけです。

 

そして結婚するタイミングで、それまでの働き方を振り返ってみて『このままじゃまずいな』と思うようになりました。

そこで、当時から考えていた起業もしくは経営者としての仕事をしようと考え、父親にも相談してみました。すると、父親から『お前には会社は継がさず、お前の従兄弟に継がせる』と言われたんです。正直『えっ』てなりましたね。(笑)

理由を聞くと、僕の父親は、僕の祖父から『うちの会社で働け』と言われ、自分の好きなことを我慢してこれまで働いてきたのだということを知りました。そして、父親は自分の子供にはそういった想いをさせたくないということで、『何かしたいなら自分で立ち上げろ』と言われたんです。

同時に、結婚した妻からも『起業したいっていつも言ってるけど、結局いつするの?』なんて言われて。。。(笑)」

 

「ものすごくパワフルな奥様ですね!!」

 

「当時は26歳だったので、『35歳くらいまでには・・・』なんて言ってると、『いや、するんだったら早くしてよ!』と返されました。(笑)

『35歳で子供もいる状態で始めるのは大変でしょ。それに、会社って起業してから3年でなくなるんでしょ?だったら今挑戦して失敗しても、まだギリギリ20代なんだから転職でも何でもできるでしょう』と。」

 

「なんて素晴らしい奥様なんですか!!」

 

「そして、『え、まじすか!?』となって、そこから本気で自分のやりたいことを探し始めました。そして今の分野でもある『教育』『人』というところに行き着きました。

それがきっかけで『夢見る株式会社』を創業し、今に至りますね。」

 

「なるほど。学童保育みたいなものもやられているようですが。。。」

 

「『学童』というサービスですね。これは、『教育分野で何かしよう』と考えたときに、もちろん塾経営とかも思いついたのですが、結局塾やスクールをやって子供が週に何回か通っても、その子の人生は変わらないなと考えたんです。

普段子供たちは1日の3分の1が学校、もう3分の1が家庭、そしてその他で3分の1を使います。僕らはどうがんばってもその他の3分の1の時間でしか貢献できないわけです。

そこで『サードプレイスとして子供たちにいかに長時間教育し続けられるか』と考えたときに、学童保育にいきついたんです。

学童保育では、親が働いている間、学校で子供をずっと預かっています。だったらその間、ただ預かるだけでなく、その時間を『子供のための投資』と位置づけることができれば、子供の成長にも繋がるし、親からしても消費から投資にお金を使えるわけなので、とても良いなと。

そこに同時にビジネスチャンスを感じて、学童というサービスを立ち上げました。」

 

「たしかに!(この考えはこれまでなかったので、感動しました!)

では重見さんの将来の夢ってなんでしょうか?」

 

「自分自身が勉強嫌いだった過去から、子供たちに『勉強って楽しいな』と感じてもらったり、好きなものから入っていつの間にか勉強が好きになっているという子供を増やしたいという想いがありますね。

具体的には、『日本の教育文化を変える』ということです。

今の一般的な人生の道のりって、大学まで卒業して就職、じゃないですか。これはもう今の時代のモデルではないなと思うんです。あくまで選択肢の1つというか。

そこに新しい選択肢を増やすためには文化ごと変えないと難しいのですが、そこに一石を投じたいなと考えています。

ゴールは明確にはないのですが、その想いを持って教育系の事業を作り続けていきたいです。」

 

「ありがとうございます。

では、これまでで重見さんが経験された最も大きな挫折もしくは苦難はなでしょうか?」

 

「経営していてしんどいことはよくあります。でも、その都度思うのは『自分がサラリーマンとして働いていたときに戻りたいか』というと、戻りたくないんです。今の方がマシといいますか。

 

んー、挫折かあ。難しいですね。もうずっと挫折し続けているのかもしれませんね。(笑)

受験時代も、サラリーマン時代も、言ってみれば、自分がしたくないことに時間を費やし続けていたわけです。その過程って、今振り返れば自分の糧になっていますが、当時は挫折をずっと感じていたのだろうなと。

そういった挫折というか、うまくいっていない期間を乗り越えるには、とにかく努力し続けるしかないです。泥沼から這い上がるようなものなので。

乗り越え方の1つとして挙げられるとすれば、『外堀を埋める』ということです。マイルールを作るのもいいですが、マイルールなんて苦しいときになればいくらでも変えられてしまうわけです。(笑)

そうではなく、何かしようと思ったら、すぐに周りに宣言するわけです。『起業します!』とか。

すると、もうやるしかない状況になるんです。僕は起業するときには、その前に働いているコンサルティング会社の上司などにも宣言していました。もちろん『うまくいかない』という声もたくさんいただきました。

 

でも、この宣言をしたからこそ、苦しいときでも『がんばるしかない!言っちゃったんだから!』という気持ちになるので、がんばれるんです。

僕はそのタイプなので、カリスマ性のあるような情熱が内から湧き上がってくるような起業家ではないんです。そういった起業家は結構フォーカスされたりすると思うのですが、そういう起業家はごくごく少数だと思います。こういう人間でも起業家になれるということをみなさんに知っていただきたいですね。」

 

「なるほどなあ。たしかに、かっこいいことは言っていても実際はどうなんだと。(笑)

次の質問で、重見さんが今、高校卒業時点に戻れるとしたらどのような進路を選びますか?」

 

「高校卒業時点であれば、間違いなく海外の大学に進みますね。

やはり大学と社会とのギャップが大きすぎるんです。よく『なぜ大学に行くのか』という議論が起こり、『社会に出るためのステップ』なんて回答が多いのですが、現状では社会に出るためのステップにもなれていないわけです。もちろん一部は違うかもしれませんが、一般論として、です。

国際教養大学などの尖っている大学、もしくは海外の大学で学ぶのは良い選択肢であると思います。

そこで何を学ぶのかというと、最も重要なのは『多様性』だと思います。社会に出たらそれこそ多様性に溢れているので、学生時代にカルチャーショックのようなものは経験しておいたほうが、のちのち役に立つと思います。

 

そして大学卒業時点に戻るのであれば、メガベンチャーに就職しますね。リソースもあるので、大きな仕事を裁量権をもってやれると思うので。

それでもやはり、個人としての力だけではなく、ある程度の看板力にも守られるわけですが、独立する時には、大企業で働いているよりも、マインドセットやスキルセットは磨かれていると思います。」

 

「ありがとうございます。それでは重見さんの信念のようなものがあれば、ぜひ教えてください。」

 

「僕は最初転職をするときに、めちゃくちゃ悩んだんです。半年くらい何もしていない時期がありました。

そのときに、以前の勤務先だった社長さんから荷物が送られてきたんです。それは『ぶれない』という本でした。

画家が描いた本なんですけど、僕の中で軸としてあるのは、まさにその本の『ぶれない』ということです。

社長がぶれると社員もぶれ会社もぶれ、最後にはユーザーである子供たちにまで悪影響を及ぼしてしまいます。」

 

「自信なく教える教師状態になってしまうと。」

 

「そうです。だから、何事にもぶれずに王道をしっかりと進んで行く。そして原理原則に基づいた事業運営をしていくということは大切にしていますね。

そしてもう1つ。『やらない後悔より、やった後悔』というものも高校時代から持っている信念ですね。」

 

「カッコいいです!

それでは最後に、読者に向けて何かメッセージをお願いします。」

 

「一歩を踏み出して欲しいですね。ただここで間違ってはいけないのは、一歩を踏み出すことは大したことではないということです。

起業すると、周りからスゴい!なんて言われることも多いですが、社長になっても何も変わらないんです。もちろん社長になって社会にインパクトを与えられれば生活も社会も変わっていきます。でも、社長になる、起業する、その事実だけでは何も変わりはしないのです。

 

何が言いたいかというと、一歩を踏み出すだけでは何も変わらないので、怖がらずに踏み出してみてくださいということです。

起業を目指しているならやっちゃってください。ある本では、『起業志望者の99%が一生準備中』と書いてありました。飲みの場で偉そうに言っていても、一歩すら踏み出せていない方が多いのです。

今では副業もフリーランスという生き方もある程度普及してきて、資本金も1円から起業できるわけです。昔と比べれば、リスクなんてものは極限まで少なくなっているのです。

そういった状況を知って、一歩踏み出す勇気を持ってください。」

 

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